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大東流の歴史 〜 武田時宗
武田時宗は、大正5年(1916)北海道下湧別で武田惣角とスエの長男として生まれました(惣角はそれ以前の結婚で何人かの子供をもうけていました)。大正14年(1925)頃から、後継者教育として父惣角から剣術、大東流合気柔術などの厳しい指導を受け始めました。昭和5年(1930)、母親が映画館の火事で死亡し、妹や弟の面倒が時宗に課せられました。
父に随行して教授代理を務め、大東流の指導に当たり、昭和14年(1939)、惣角指導のもと総務長に就任しました。武田惣角が同年、免許皆伝を久琢磨と刀禰館正雄に授与するために大阪に出向いた時、時宗は同伴しています。これらの免許皆伝を記した『英名録』の巻頭には惣角と時宗連名の「大東流合気柔術総務長」の署名があること、おなじく『英名録』に「武田大先生同じく時宗殿に免許皆伝の技を教わりました」との久、刀禰館の記入があります。またこの時に撮られた記念写真にも23歳の時宗の姿が見られます。
太平洋戦争が勃発し、時宗は招集されます。外地への出兵が決まった時、自分が帰国できなかった場合を考えて、時宗は惣角の『英名録』などの資料を佐川幸義に託します。復員した時宗は網走に住み、北海道警察官訓練を昭和21年(1946)に終了しました。警察官時代、犯罪人逮捕の功労で数回表彰されました。
武田惣角が昭和18年(1943)逝去した後、武田時宗が大東流合気柔術を継承しました。昭和29年(1954)網走市に大東館道場を設立して、門人の指導育成に励みました(「大東流合気武道」と名称を改めて、宗家に就任しました)。昭和51年(1976)、山田水産工業を取締役として定年退職後、全国を巡回して大東流の指導普及に当たりました。
武田時宗は、それまで秘伝として士族、将校、教師などの名士にしか教授しなかった技を各地に宗家直伝会を開いて大東流の発展に努めました。昭和56年(1981)2月7日、日本武道館で行なわれた日本古武道大会で大東流の秘法を公開演武し(後にこの演武はNHK教育テレビで放映されました)、その立合6人詰、寝技9人投の技が全国武道家の目にとまり、大東流の技と武田時宗の実力を認識させました。また昭和60年(1985)の同大会では空中に7人で胴上げさせ、同時にその7人を一瞬に崩す妙技も披露しました。各古武道団体より、多数表彰を受け、昭和62年(1987)11月3日、網走市文化賞を受賞しました。
昭和63年(1988)年に武田時宗は当時、大東流合気武道・東京総支部長であった近藤勝之を大東流合気武道における宗家代理・海外本部長に任命し、さらに同年、大東流合気柔術の免許皆伝を認可し、本流の道系を継承させました。平成元年(1989)頃より健康を損ね、晩年は入院生活を送り、平成5年(1993)12月2日に逝去。
注:上記文書の一部は、プラニン・スタンレー「大東流史概説」によります(近藤勝之『大東流合気柔術 秘傳目録一ヶ条
編』、合気ニュース、2000年)。
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